
このページでは、福井鉄道の車両を紹介します。
1921(大正10)年、川崎造船製。在籍は0両(0編成)。元は、南海電気鉄道のモユニ521(旧電五)形であった。1948(昭和23)年、福井鉄道入りしている。その後、1956(昭和31)年、日本車輌で車体更新、1977(昭和52)年2両固定編成化された。冷房化は1992(平成4)年で、ある。2000年で、車歴は79年になるが、登場時の原型は全く留めておらず、もはや、全く別ものになってしまっている。名鉄からの車両大量譲受を受け廃車解体となっている。
モハ81号+クハ81号
撮影場所 福武軌道線 田原町〜裁判所前 間
2両編成で、McとM’cの組み合わせになっている。前歴は122−1と122−2で異なる。122−1は1950(昭和25)年に日本車輌で製造された。122−2は1929(昭和4)年、同じく日本車輌製であるが、元は名古屋鉄道の3000形であったものを1966(昭和41)年に譲り受けたもの。2編成が存在していたが、現在の在籍は0両(0編成)。晩年は非冷房であったため、滅多に運用に出る事はなかった。
モハ122−1号+モハ122−2号
撮影場所 福武軌道線 市役所前〜公園口 間
120形と同様、2両編成を組む。本形式も−1と−2とで前歴が異なる。−1は1941(昭和16)年、汽車会社製の元長野電鉄300形であったもの。−2は、1929(昭和4)年、日本車輌製の、元名古屋鉄道900形。それぞれ別々のものを、共に1978(昭和53)年に譲り受けた。140形自体は長野電鉄から2両と名古屋鉄道から3両を譲り受け、2両固定編成化したもので、不足する1両は自社の1929年加藤車両製だったモハ41形を組み合わせた。当初6両3編成が在籍していたが、最後の2両(1編成)が廃車となり、在籍は0両(0編成)となっている。最後は教習車として活躍する姿が見られた。
モハ141−1号+モハ141−2号
撮影場所 福武軌道線 木田四ツ辻〜福井新 間
1933(昭和8)年、日本車輌製の連接車。元は自社発注の1997(平成9)年に600形の導入に伴い廃車となり、在籍数は0両(0編成)となっている。元は鯖浦線所属の車両であり、福武線乗り入れ指定車として活躍していたが、鯖浦線廃線後は、唯一福武線に転じた。福井大震災の当時から走っていたことにより、福井鉄道最後の生き証人として、廃車後は2両それぞれ分割された上、保存されている。
モハ161−2号
撮影場所 福井市内 下馬公園 内
1960(昭和35)年から1962(昭和37)年にかけて、日本車輌で製造された。現存する唯一の、福井鉄道オリジナル車両である。元は急行用として登場したが、300形の登場と、日中の急行運転の廃止に伴い、各停用車両となった。現在、6両(3編成)が在籍している。湘南形スタイルを今に伝える車両で、今も古さを感じさせない。車内はクロスシートとなっており、急行専用車両であったことを偲ばせる。冷房改造が行われており、今も元気な姿が見られる
モハ202−1号+モハ202−2号
撮影場所 福武軌道線 市役所前〜福井駅前 間
1966(昭和41)年、静岡鉄道長沼工場製。元は静岡鉄道の300形であったもの。通常、自社工場製というと、旧型車の更新を思わせるが、この車両は、全くの新製。1985年(昭和60)から福井鉄道にやって来たもので、合計6両(3編成)をを譲り受けた。車内を急行用にクロスシート改造を行い、外部塗装もそれまでのアイボリーと濃紺のツートンをやめ、同社の観光バスに揃えた塗装に変更されている。地味な存在ながら、同社の主力車両であった。ただ車体の損傷が激しく、770形等を譲受した際、真っ先に全車廃車となり、在籍は0両(0編成)。
303−1号+303−2号
撮影場所 福武軌道線 本町通り(現・廃止)〜公園口 間
1971(昭和46)年、日本車輌・日立製作所製の名古屋市交通局1100系がその前身。1997(平成9)年に導入して、現在の在籍数は2両。元来、軌間、集電方法が全く異なる車両であったことから、導入に際し、大幅な改造が行われている。同社の鉄道形車両としては唯一の両運転台車両。外部塗装は一般公募により決定した。ただ、単行用車両と言う事から利用客からの評判は良くなく、運用が限定されており、2両化改造が行なわれる可能性が示唆されている。本形式の導入に伴い、160形と120形1編成が廃車となり、160形は廃形式となった。
モハ602号
撮影場所 福武軌道線 公園口〜木田四ツ辻 間
1974(昭和49)年、日本車輌で製造された、名古屋市交通局1200形の改造車。先に導入した600形と異なり、2両固定編成を組む。在籍数は2両(1編成)。1999(平成11)年に600形に準じた改造を行い、営業運転に入った。本形式の登場により、120形1編成が運用を離脱した。改造に多大なコストがかかることなどから、増備は見送られた結果、名鉄からの大量譲受に至った。
モハ611−1号+モハ611−2号
撮影場所 福武軌道線 本町通り(現・廃止)〜公園口 間
1987(昭和62)年から翌年にかけて、日本車輌で製造された、元名古屋鉄道モ770形を譲り受けた車両。2両一編成の連接車で、元は岐阜市内・揖斐線直通用車両として登場したが、同線の廃止により、8両(4編成)が入線した。登場時より冷房車・ワンマン車であったため、外部塗装の変更、集電装置の更新・1台撤去以外に目立った改造は外観上は見受けられない。560形以来の名鉄からの譲受車である。
モ774号+モ775号
撮影場所 福武軌道線 木田四ツ辻〜福井新 間
2000(平成12)年、日本車輌で製造された、名古屋鉄道モ800形がその前身。全3両が製造されたうちの2両を譲り受けた。部分低床車は前身の名鉄でも当社でも初めてであるが、同形式は2001(平成13)年に行なわれたトランジットモール実証実験の際にモ802号を借り受けて、2ヶ月間走行した実績もある。こちらも外観上は外部塗装以外の目立った相違点はないが、もとが複電圧車であったため、その設備は撤去されている。単行車両ということで、600形導入の際の乗客からの不満が再び起こらない事を願いたい。
モ803号
撮影場所 福武鉄道線 西武生車庫 (許可を得て撮影)
1980(昭和55)年、日本車輌製の元名古屋鉄道モ880形。800形と同様、名鉄美濃町線で使用されていたものを、同線の廃線によって譲り受けた。在籍数は10両(5編成)。こちらも元が複電圧車であったため、その設備を撤去する工事が行なわれている。名鉄時代に冷房改造が行なわれたが、1500V区間では冷房装置が動かせない構造であったため、この点は改善されている。なお、同車も外部塗装の変更が行なわれており、これら改造は全て名古屋鉄道岐阜工場で行なわれた。
モ880号+モ881号
撮影場所 福武鉄道線 上鯖江〜家久 間
1932(昭和7)年、日本車輌製。名古屋鉄道から譲り受けた車両で、名鉄時代の車号を踏襲している。しかし、その元を正すと、元北陸鉄道金沢市内線のモ2200形。譲り受けた1両が廃車となり、在籍数は0両となっている。軌道用車両であるため、営業運転として鉄道線に乗り入れることは出来なかった。2001年秋に、トランジットモール実証実験の際に復活、「すまいるトラム」号として、名鉄から借り入れたモ800形と共に軌道線を走った。定期的に走行するかどうかは定かではなかったこともあり、冷房改造はなされなかった。名鉄モ550形・モ560形や豊橋鉄道3300形と言った、北陸鉄道の名車が相次いで廃車となっている中、現存する最後の1両となってしまっていたため、その引退は極めて残念である。
モハ562号
撮影場所 福武軌道線 本町通り〜公園口 間
福井鉄道は普通鉄道であることから、一般的な事業用車両も所有している。しかし、軌道法上、軌道線での運転が認められていない。この中には2両の電気機関車と1両のディーゼル機関車が含まれる。工事用貨車の牽引に使われるデキ3形(右写真)は1951(昭和26)年東洋電機製。前身は東洋紡の入換機だったもので、その後、名古屋鉄道、遠州鉄道と渡り歩いて、1951(昭和26)年に福井鉄道に入線した。
除雪用機として活躍するのは、1923(大正12)年製、1979年改造のデキ10形(右写真)。梅鉢鉄工所で製造された10m超級の電気機関車。元はデワ1形と言う電動貨車であったが、モーターの乗せ変えが行われた際に荷物室が廃止された。そのため、車体は電動貨車当時の姿を色濃く残している。
また、降雪時には積雪により、架線が被害を受ける事もあることから、非常時の除雪用機関車として、D−100形ディーゼル機関車が在籍する。1982(昭和57)年新潟鉄工所製ということで、オリジナルの新製車の中では最新車である。
その他、事業用貨車としてホキ1640形が2両と牽引用モーターカーDK−10AT形を保有しているが車籍はない、2001(平成13)年にトム10形とホサ1形(右写真)が各2両、車庫内入換に従事していた1924(大正13)年東芝製のデキ2形が廃車となっている。
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