
このページでは、栗原電鉄が「くりはら田園鉄道」に変わる、
数日前の風景を記録しております。
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曇天模様の、栗原電鉄の起点駅、石越駅。そこで発車を待つM15形。駐車場がホームに併設されており、ターミナルと言うには些か寂しい駅であるが、ここが旅の起点駅である。
撮影場所 石越 駅
撮影日 1995年3月17日
車庫のある若柳。現役車両のほか、既に車籍を失った車両も残されていた。車庫の外れに放置されていたM17形とED20形はただ、朽ち行くのを待っているかのように見えた。
撮影場所 若柳 駅
撮影日 1995年3月17日
栗原電鉄随一の撮影地、三ノ迫川を渡るM15形。冬場には白鳥の飛来地としても有名であった。鉛色に沈んだ空の下、正に北東北の冬空の風情である。
撮影場所 栗駒駅〜栗原田町駅 間
撮影日 1995年3月18日
栗原電鉄のメインステーションは、ほぼ中間の栗駒駅。広い構内、石越行きのM15形が栗駒駅のホームに滑り込んできた。咄嗟にレンズを振ってみた。
撮影場所 栗駒 駅
撮影日 1995年3月18日
栗原電鉄の中枢、若柳車庫に休む車両たち。左のC15形はローカル私鉄にしては珍しい片運転台の制御車。M15形とコンビを組んでいた。右のM18形は元福島交通のモハ5300形、福交の昇圧により栗電にやって来たが、ここ栗電での活躍は短かった。
撮影場所 若柳車庫 (許可を得て撮影)
撮影日 1995年3月18日
M15形に酷似した車体を持つM18形。しかしこちらは更に前面が湘南形になっており、洗練されたイメージがある。元福島交通モハ5300形も、ここではM18形を名乗っているが、こちらが元である。車体長がそのまま形式になっている為、このような事象が起こっていた。
撮影場所 若柳車庫 (許可を得て撮影)
撮影日 1995年3月18日
栗原電鉄は電化私鉄であったが、交流電化の国鉄との貨物連絡のために、ディーゼル機関車も保有していた。電化時代にはほとんど出番の無かったミニマムなDLは、皮肉にも非電化後には工事用に使われ、活躍している。
撮影場所 若柳車庫 (許可を得て撮影)
撮影日 1995年3月18日
ED20の構図

ナローゲージの時代から活躍していたED20形。ちょっとがに股な愛嬌あるところと、凸形・1灯ヘッドライトの無骨な姿がブレンドされ、非常に表情深い車両であった。最後まで現役を貫いた1号機は、最後まで美しい姿を保っていた。

撮影場所 若柳車庫 (許可を得て撮影)
撮影日 1995年3月18日
「はくちょう」号と名づけられたM18形は、電鉄線晩年にはその収容力に物を言わせて、フル稼働していたように思われる。
撮影場所 若柳 駅
撮影日 1995年3月18日
田圃が延々広がるこの区間も、まだ冬が居座っているこの時期では荒起こしされた黒土が広がっているだけである。この辺りに緑が芽吹く頃、電車の姿はもう見られない。
撮影場所 沢辺駅〜津久毛駅 間
撮影日 1995年3月18日
かつてはどこのローカル線でも見られた腕木式信号機。か細く延びる線路に、小さな電車。どれをとっても原風景が広がっていた事が思い出される。
撮影場所 沢辺駅〜津久毛駅 間
撮影日 1995年3月18日
沢辺で交換してきたのであろう、M18形がやって来た。細倉マインパークに向かって、灰色の空の下、寒さから逃げるかのように走り去っていった。
撮影場所 沢辺駅〜津久毛駅 間
撮影日 1995年3月18日
この頃には既に試運転が始められていたKD95形。今までの古びた、でもどこか温かみのあった電車たちに代わって、これからの、新しい「くりでん」の歴史を作る主役になる。
撮影場所 沢辺駅〜津久毛駅 間
撮影日 1995年3月18日
近代的な軽快気動車と、前時代的な遺産である腕木信号機との対比。それにしても、ディーゼルカーが走るところにある架線というものに、少しばかり違和感を憶えるのは何故だろう。
撮影場所 沢辺駅〜津久毛駅 間
撮影日 1995年3月18日
全線単線の栗原電鉄であったが、交換駅は運転本数の割に多く設けられており、その全てが最後まで機能していたというのが興味深い。全区間が通票閉塞となっていた関係で、交換駅には全て駅員が常駐しており、このように、電車が到着すると、駅員が通票を受け取りに走る姿が見られた。
撮影場所(1・2とも) 沢辺 駅
撮影日 1995年3月18日
日中、殆どといっていいほど交換風景が見られた沢辺駅。タブレットを受け取り、再び細倉の山を目指して行く。
撮影場所 沢辺 駅
撮影日 1995年3月18日
バス窓が印象的だったM15形。車内の壁は、一面オレンジ色に塗られ、始めは非常に違和感を感じ、落ち着かなかったものだが、暫らく見ると慣れてくるものである。バス窓の向こうに広がる土色の大地が、東北の遅い春の訪れをじっと待っているかのようである。
撮影場所 栗原田町駅〜尾松駅 間
撮影日 1995年3月18日
鶯沢駅から尾松駅方向を臨むと、ただ真っ直ぐに伸びる線路と、不規則に並ぶ架線柱とで妙なリズムが感じられた。暫らく眺めていると、踏切より先に、やって来る電車の姿が遠く見えた。
撮影場所 鶯沢 駅
撮影日 1995年3月18日
紺色に染まる夜空を切り裂くように姿を見せた2条の光線。窓から漏れる蛍光灯の明かり、寒々とした空気の中、じっと電車の到着を待っていた駅員の姿がここでシンクロした。
撮影場所 栗駒 駅
撮影日 1995年3月18日
日は沈み、再び昇る。一日の始まり、昨夜と同じM18形が姿を見せた。少し空の色が重いが、日差しが暖かくなっている。今日は晴れそうだ。
撮影場所 栗駒 駅
撮影日 1995年3月19日
栗電的な顔つきとは全く異なるM18形は、正に福島交通オリジナルの顔つきをしている。このいかにも近郊私鉄といった顔つきの電車も、沿線に馴染んできた頃に引退とはいささかやりきれないものがあったのではないだろうか。
撮影場所 栗駒 駅
撮影日 1995年3月19日
栗電は途中いくつもの橋を渡る。その中の一つである一ノ迫川の鉄橋。やはりこちらにも白鳥が多く飛来していた。さよならの横断幕をつけ、2両編成に増結された姿を見て、白鳥たちも電車の引退を悲しんでいるのだろうか。
撮影場所 尾松駅〜鶯沢駅 間
撮影日 1995年3月19日
前日は単行での試運転がなされたKD95形の試運転列車。この日は2両編成で運転された。鉱山のカンテラをイメージしたヘッドライトに、鉱物をイメージした独特のカラーリングと、鉱山電車だった時代を忘れないようにしたデザインが記憶に残っている。
撮影場所 若柳 駅
撮影日 1995年3月19日
高架になった国道の上から撮影。ここも比較的有名な撮影場所であった。雪を被った栗駒連山が聳える先へ、小さな電車は、ただ急ぐ。
撮影場所 沢辺駅〜津久毛駅 間
撮影日 1995年3月19日
バックに雄大に聳える栗駒山を背にして、若柳の車庫に帰るKD95形の試運転列車。軽快なエンジン音、鮮やかなヘッドライト、そして疾風のように去って行ったそのスピードと、栗駒山に新しい時代がやって来たと言えようか。
撮影場所 沢辺駅〜津久毛駅 間
撮影日 1995年3月19日
栗原電鉄で最も新しい駅であった細倉マインパーク駅。細倉鉱山資料館の最寄駅と言う事で、細倉駅を少し延長して移転させた事になっている。新しい駅にやって来たM18形に違和感を余り感じないのは。この電車の顔つきが少し今風だからだろうか。
撮影場所 細倉マインパーク 駅
撮影日 1995年3月19日
夕暮れに沈む

石越駅の外れに放置されていたED35形。細倉鉱山採掘用に導入された機関車であったが、鉱山閉山後には、用途が無くなり廃車されてしまった。元は東武日光軌道線の電気機関車であり、非常に貴重な車両であったが、この通り、完全に朽ちるに任せてあった。日没、夕陽の時間帯、この車両の横顔がやけに寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
撮影場所 石越駅〜荒町駅 間
撮影日 1995年3月19日
M15形とC15形の2連が石越駅を発車する。夕陽も殆ど西の地平線に落ちてしまい、露出もかなり厳しい状況になってきた。高感度フィルムを詰めて、細倉に向かう電車をシュート。この日最後の2連の1往復は、一路団体客の待つ細倉へ向けて去って行った。
撮影場所 石越駅〜荒町駅 間
撮影日 1995年3月19日
栗原電鉄の最後には、「さらば黄金狂鉄道」と言うイベントが行われていた。その実は分からないが、そのイベントの参加者による団体の為、定期列車に増結と言う形で運転された。恐らく、細倉鉱山から採掘していた鉱物を、黄金に例え、その当時の状況を比喩したものではないかと思う。
撮影場所 石越駅〜荒町駅 間
撮影日 1995年3月19日