
このページでは、東京急行電鉄世田谷線の車両を紹介します。
1942(昭和17)年〜1946(昭和21)年にかけて川崎車両で製造された。製造両数は8両であったが、淘汰が進み、2001年に最後の1両が廃車となって、現在の在籍は0両。当初両運転台の単行運転されていたが、1952(昭和27)年から連結改造が行われた。その後、1967(昭和42)年の片運転台化、1978(昭和58)年から始められた工事車体更新工事などで、原型とは変わっていったが、1989(平成元)年から行われた、シールドビーム工事により、その表情は大きく変わった。そして、1994(平成6)年から始められた、カルダン化改造により、登場時の面影は一新された。冷房改造が行われる事も無く、1999(平成11)年より増備が続けられたデハ300形に台車を振り返るために廃車が続き、2001年に形式消滅した。
デハ77号
資料画像 世田谷線散策きっぷより変形の上、転載
1950(昭和25)年に日立製作所・東京横浜製作所で製造された。1951(昭和26)年〜1953(昭和28)年にかけても、川崎車輌で増備が続けられ、最終的には28両が活躍した。2001年に最後の2両が車籍を抹消された事により、現在の在籍は0両。最初に製造された6両は新製車であったが、増備された22両は、旧在車の改造車であった。その後、改造車であった22両が廃車されたり、江ノ島電鉄に移籍したりした。最後まで残った6両は、1979(昭和58)年より、デハ70形と共に、車体更新を受け、やはり、1989(平成元)年デハ70形に準じたシールドビーム工事が実施された。1994(平成6)年からは、カルダン化改造が行われている。2001年1月に、最後の1編成が引退するのを記念し、登場時の塗装に戻された(写真)。最後まで非冷房であった
デハ81+デハ82号
撮影場所 世田谷線 松原
1964(昭和39)年、東急車輌製。玉川線の最後の新造車両で、4両が登場した。しかし、2001年に、デハ300形が増備されたのに伴い、全車引退し、現在の在籍は0両となった。それまでの玉電スタイルから一新され、いわゆる東急スタイルでデビューした。車体軽量化の為に、車体側面にコルゲート板を貼り付けていたが、1983(昭和58)年から始められた更新工事により、片運転台化、コルゲート板のステンレス化などの工事を受けた。最後まで冷房改造も行われず、また、最後まで残る、吊り掛け駆動車でもあった。
デハ153+デハ154号
撮影場所 世田谷線 山下 〜 宮の坂 間
1999(平成11)年に東急車輌で製造された、軌道線36年ぶりの新車。その後も増備は続けられ、2001(平成13)年までに、8編成が登場している。2両でユニットを組む連接車であるが、1編成を1両として計算されている。世田谷線初の、全面広告電車と言う事と、軌道線初の冷房車、そして、今話題の低床車と言う事で、非常に話題となった車輌である。かつて、玉川線にはデハ200形と言う低床式特殊連接車が1969(昭和44)年まで活躍しており。まさに30年ぶりの復活と言うべきであろうか。旧在来車が完全に淘汰された今、東急軌道線のヌシとなっている。
デハ300AB号
撮影場所 世田谷線 山下 〜 宮の坂 間
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