ネタ帳明かし

物を書くネタを明かすと云う程の大それた話では有りませんが。何でも製品に成り損ないの渾沌とした中にも、何かしら皆様の興味を引かれるものが、有るものかも知れないと思い、思いきって掲載して見ました。こんな事は邪道だ、とお叱りを受けるかも知れませんが、また何か私自身、此の中から新たに何かを生み出す切っ掛けを得るかも知れない。そう思って作りました。こうした構想のネタは奥へ仕舞ってしまうと、自分でも忘れ去ってしまう事があります。どうしてこんな事を書いたのか、自分で不思議に思う事は非常に多いです。

《長家長逗留噺其の二》

一日中、鬱陶しい菜種梅雨の午後、暗い部屋の障子を開けると、狭い長家の軒下に一人の女が立って居た。
「おう、どうなされた。」女はちらりと振り返ると。
「申し訳ござりません。一寸軒下を…」
「おう。どうぞご随意に。可哀相だが、中にお入れする訳には参らぬ。」「ええ…。」女はぽっと頬を染めて頷いた。しかし雨は一時ほど経っても止む様子は無かった。
そろそろ宵の灯りも灯りそうな頃、
長谷川はつい仕事に熱が入り、女の事など当に忘れて居た。
一仕事終え、ふと障子を開けると女は未だ居た。「そうじゃ。」長谷川は仕上がったばかりで、未だ油の匂いのする傘を差し出した。「こんな傘で良かったら、持って行きなさい。」女は驚いて、「いいえ、そんなご商売の…。」
「良いんじゃ。又返せば良い。」「申し訳ござりません。私は…」すると「いいや、聞くには及ばん。」ぱたりと戸を閉めた。「ありがとうござります。」障子の向こうから嬉しそうな声が聞こえた。去って行く足音を聞きながら何とはなしに、心が晴れた。しかし迂闊な事に長谷川は隣室の新妻の青ざめた顔を忘れていた。

《あしたを知りたい…》
広州のある山沿いの村に桃妃は住んでいた。小さい時から好奇心の強い娘であった。或日もいつもの様に糸を紡いで居たが、毎日同じ事の続きで、ほとほと生活に飽きがきてしまった。そこで桃妃は妹を誘って気晴らしに町へ出かける事にした。町では芝居小屋が大人気で、連れ立って見て帰った。さて帰り道、その日に限っていつもと違う道を歩いていると、道端に一人の占い師が居た。「桃妃よ。」突然自分の名前を呼ばれて、桃妃は驚いた。「お前は毎日の暮らしに飽きて居るのだろう。」「…」
余りにも図星で言葉が無かった。
「願いを聞いてあげよう。」
「あしたを知りたい…」
「ほら、やっぱり。」
占い師はにやりと笑った。
「でも、それだけはお止し。」
「…」
「仕様が無い、では此れを上げよう。」
占い師は桃妃に一つの透明な玉を暮れた。
不思議に思いながら桃妃が玉を覗いて居ると、
桃妃の姿は玉の中に吸い込まれて行った。
透明な玉の世界に入り込んだ桃妃に占い師の声が聞こえた。「そんな世界に迷い込むのが、お前の知りたがった未来だったと云えば、そうなるの。」
「母さん助けて。」
桃妃は驚いた、糸を紡ぎながら居眠りをしていたのだった。《》
長家長逗留噺其の一》駒込の或古びた長家に一人の浪人が、日々鬱いで世間を眺めて居る。
「……。」
「…………。」
「あの…。」
「何でござる。」
一日雨で、隣の大工の頭領が、世間話でもと、やって来たらしい。
「ま、いらっしゃい。」
「宜しいんでござんすか。」
「儂は此の通りじゃ。構わん。」
「よっく降りますな。」
「…ああ。」
「一寸、煙草盆を宜しゅうござんすか。」
黙って差し出した。
「そう云や、表の駿河屋の亭主が最近見えんが…。」
頭領が云った。
「えっ。ご存知無いんで。」
「先だって、あすこの御隠居が亡くなって…。」
「ああ…。」
「其れで、嘘みたいな話でして、後追いしちゃって。」
「うっあ〜〜。そりゃ不憫じゃ。」
「そうじゃ有りませんか。あすこは、御隠居の婆さんが居れば、また、女房や可愛い坊ちゃんも居る。」
「何ででござんしょねぇ。」
「…。」
「…………。」
「何にもして上げられんかった。」
「所帯は違って居ても、近所付合いて事がある。」
「何にも相談も無いじゃないか。」
「そりゃ、長谷川様のせいじゃござんせんよ。」
「……。」
江戸の春の長雨は続く。
《笹谷峠》宮城県と山形県の境にある笹谷峠は古来、山脈が分つた二つの土地を、人と文化、産業の行き来する仲立ち、中継の要路だったらしい、荒涼とした山間の道に延々と続く道。それは決して広いものではなかった。此の道を有る時は、疾駆する伝令が走り、ある時は伊達家の婚礼の長い長い行列が続いた。
「嗚呼〜こえーの(疲れた・きついの意味)」「あど、なんぼぐらいあんだいが」「いや〜、ん。わずがだべ。」「しかし、目出たいの。」「んだっちゃ。」「おらいの、嫁かもうん、よろごんでのう。」「うづぐすい〜、お媛さんだっちゃ。」そんな声が聞こえて来るようだ。空が突然俄に掻き曇ると、百騎、二百騎と大変な騎馬の群れが続く、彼方此方から、馬の嘶きが、蹄の蹴立てる轟音の合間に轟く。雪が降る風が吹く、雨が降り、そしてカンカンに日照る街道に山々の蝉時雨が続く。
《》此の冬の仙台城本丸はいつに無く、底冷えの厳しい年であった。「お目覚めでござりまするか。」「うむ。」國守政宗の寝間の襖がそっと開いた。家来の誰よりも早起きの政宗であった。病の時でも、決して見苦しく寝姿を、人に見せる様な男では無かった。「お早うござります。」「うむ。」小姓の笹丸が洗面一式を、捧げて入る。「氏家は居るか。」「ははっ。間もなく登城でございます。」「うむ。」一汁二菜の質素な朝餉に何の不満も有ろう筈も無い。「殿、何か羽織るが如何でしょう。」「おうっ。女子のそなたが気遣い嬉しいが、儂は、大阪や、朝鮮の戦場を駆け回った猛者中の猛者。何の宮城野の冬寒など…。」「ほほほっ。近頃江戸では其の痩せ我慢を伊達の薄着とか申すそうで。」
「かっはっはっは。そりゃ、良い。」
《》昔、了と云う青年が居た。農作業の傍ら木材を彫って仏を、幾体も創っては眺め、創っては眺めして居た。或日も等身大の仏を彫って居るうちに、突然磨崖仏を造り始めた。丁度うらに大きな岩山があったので、掘っては石屑を捨て、掘っては石屑を捨てして居るうちに、漸く仏の様な大きな塊が見えて来た。そんな噂が口伝てに伝わり、やがて都の殿様の耳にも入った。「何でも、都のお殿さまが岩ごろ山の石仏さまを見物に来るそうな。」「それは目出たい。」やがてお殿さまが行列を従えてやって来た。
「これはみごとじゃ。」殿様は面倒くさがる了を、褒美に都へ連れて行き、毎日大騒ぎ。その内に了も酒宴が気に入り、あっと云う間に三年も経ってしまった。
「此れは不味い。」了は自分の大切な仕事をやり残したのを思い出し、殿様のおゆるしをいただいて、大急ぎで家に帰った。取るものも取り合えず、裏山に登るとあんなに素晴らしかった磨崖仏が、風雨に曝されて、元の岩山に戻って居た。やがて了は、創作意欲を失い、毎日引き蘢りの若者になってしまったとか。
「烏天狗のお師匠さま。」
少年の応答に声の主は思わず失笑した。
「わっはっはっはっはっは。烏天狗には参った。」
「お師匠さま。今日はどんな修行でしょう。」
「儂が烏天狗なら、お主は誰じゃ。」
「勿論…それより早く早く。」
「判った、判った。」
鬱蒼とした林の祠の前は格好の広場が有り、二人の稽古場であった。
暫く小半時程、Tやっ、とうUの稽古が続いた。
師匠と呼ばれた武士は飄々とした物腰でしかし、少年を飽きさせない魅力があった。
「鉄も中々筋が良い。」
「本当ですか。」
「ああ。」
少年は小躍りして
「嬉しいな。」
たわい無い姿に師匠は目を細めるのだった。
「鉄。お前大きくなったら何になる。」
「勿論、世の為、人の為。立派なお侍になる。」
師匠はバツが悪そうに上目使いに少年を見つめると
「羨ましい。実に…。」
「何が…。」
「まあ、良い。夢は捨てず、しっかり仕舞っておけ。」
「はい。お師匠さま。
「其れはそうと、殿。」「何じゃ。申してみよ。」「前谷地方面の堤が普請。中々でござりまする。」「ふん、其の様な事を申しに来たか。」「いいえ、秋の長雨が恐ろしゅうござります。ま…お任せを。」「ふふ…竜神の申し子と噂のそちも、相当手を焼いて居るな。」「はは〜。御明察。」「しかし、」「何じゃ。」「前谷地方面の農夫たちの間で、堤の普請の堅固を願って、思わぬ話が流れて居る様な。」「申してみよ。」「それが、人柱…。」領主の隻眼がぴかりと光った。「愚か者が…。」「ははっ。全くその通りでして。」「儂の領地で其の様な愚行は許されぬ。」「手前川村も強く申しました。“川普請の川村に人柱等と云う工法はござらぬ。領民は一人と云えど、政宗公のお宝じゃ。”」「はっはっはっはっは。そうか、儂の宝か。良う申した。」城主の眦に光るものを見た。轟く雨音が城主の鬱を払って呉れるような… え〜〜〜突然ですが忘れない内に書き止めます(一回限りに成りませんように) 《大原くたびれ草紙 その一》
西の西行寺山から六百人の僧が徒党を成してやって来た。黒い山陰に怪しい灯が、延々隣の山の麓まで続いて居た。巨大なTおろちUの襲来に、驚いたのは都の里人であった。「何だね。えらい、山焼きかねぇ。」「いんや。とんでもねえ、そんなもんじゃねえ。ありゃ、西の西行寺はんの、坊さん達じゃ。」「また都は火の海かね。」
そんな人々の心配に、幸するか、災いするか。遥か都の中程に、逸早く其れを察知した六波羅の大軍勢が、鎧直垂に身を包んだ勇ましげな形で、わうわうと馳せ参じた。「けふこそ、もののふの意地を示す時ぞ。者共吾に続けよや。」西に西行寺山の大軍勢、中央に六波羅の大軍勢。赤い雲と黒い雲が俄に都に沸き立ったかのような様に、殿上人もあれよと、恐れ戦くばかりであった。

“いっこくどう症候群”

梵典は昨春より都を遥か眼下に見下ろす堂雪山に、庵を結んだ。暑い夏が去り、真っ青な空に幾万の蜻蛉が群れ飛ぶ様を、つらづら眺めては、閉ざされた心に少しづつ人恋しさが迫り来るのを感じた。昨日も、今日も庵で端座の毎日であったが、流石に二年も経つと良いかげんうんざりするらしい。梵典は詰らぬ事を考えた。着物の裾をたくし上げると、右の膝小僧に墨黒ぐろと、顔を描いた。すると今度は左の膝小僧にも顔を描いた。「はっはっは、仲間が増えたわい。」毎日暇に明かしては三人でお喋りを始めた。実に詰らぬ話しじゃ。お終い。…と云う訳にも行かないので、続きと行こう。そんな或日。いっこくどう症候群に罹った梵典は、今日も詰らぬ日課に耽っていると、何時の間にか人の気配がする。ふと、振り返ると、庵の庭先に里人が立って居た。一人は老爺で、娘であろう十四、五歳程、年頃の娘が余りにもの可笑しさに、腹を抱えて笑って居るではないか。梵典も人生こんな極りの悪い事は始めてじゃった。二人が去った後、途方に暮れるが、今更どうしようも無い訳で、二人に(両膝小僧)向かってぼやいて居る始末。そんな或晩、何を間違ったか、この庵に二人の盗賊がやって来た。ぼそぼそ話し声がするので、寝静まったら一つ、押し入ってやれ。と算段して居たが、どんなに時が経っても、三人は気が合うらしく、話が終わらない。そりゃそうじゃ。何せ“いっこくどう症候群”じゃから。滔々盗賊は睡魔に襲われて寝込んでしまい居った。実に長閑で詰らぬ話じゃ。教訓“人間一人じゃ無い。”“人生楽しく生きる方法はある。”……で。こんな下らぬ話の先をしても仕様が無いので、これでお終い。

「その後の九郎話」五条の夢
えぴそーど3
晩秋の陸奥もそろそろ雪の便りを耳にする時節となって来た。
山間から鳶の寂し気な笛の音が聞こえて来る。
「お寂しいですか。」
「何の話かの。」
「京のお山を離れて久しゅうございます。」
「はっはっ。なんの、そなたが居るではないか。」
「嘘おっしゃい。顔に書いてございます。」
「……。」
「申し訳ございませぬ。心無い事を。」
「なんの、そなたのせいではない。世の中、人の世のうつろい、
侘びしいものじゃ。」
「はい。弁慶殿も申して居りました。」
「軍務を離れ、天性の戦上手も
多くの家来共と離れ離れ。…お労しい」
「泣くな。身の不徳故…。」
云うべき言葉を無くす二人であった。
秋の日の肌寒さが、心を重くするのであろうか。
えぴそーど5
「弁慶。何を思い出して居る。」
「牛若殿を思い出して居り申した。」
「何、牛若。」
懐かしい名を聞いて、思わず苦笑を浮かべた義経であった。
「あの儂が生きてる姿か。はたまた、此の儂が真に生きて居る姿か。」
「どちらもでござりましょう。
人の生きる姿は一様に在らず。
修羅も在れば、浄土も又在り申す。
殿、悔いてござるか。」
「いや。悔いてなど居らぬ。」
「しかし、時は変わった。
もう、あのような時代は来ぬであろう。
まるでお伽草子の様じゃ。」
「何がでござる。」
「五条の橋の技競べじゃ。ふふ。」
「御意。」

《萌黄色の雲》

広い原野の細い道を、野良へ向かう親子が居た。「ねえ、おっ父。」「なんじゃ。」「あれは何かい。霧のようじゃが。」「ん。なんじゃろ。」子供の指差す彼方には、何かしら萌黄色の霧の様に靄って居た。やがて、その萌黄色の雲は一面の霧として、辺り一面、天地を覆いつくした。

《萌黄色の雲》その二

天文九年は殿上に居わします御方から、民百姓まで其れはもう、苦渋の毎日であった。この年は春から気候も様子がおかしく、雨の恵みも乏しかった。来る日も来る日も、天気だけは良い。だが軈て何処からともなく、蝗の群れがやって来た。(蝗:イナゴ属のバッタの総称。日本にはハネナガイナゴ・コバネイナゴほか二種がいる。体長約3センチメートル。体は緑色、はねは淡褐色、発達した後肢でよく跳ぶ。鳴かない。稲の害虫。食用ともする。)

飛騨彫師伝その1

漆黒の帳には満天の星が、獣のらんらんと光る目の様に、怪しく輝いていた。鬱蒼とした杉の巨木が立ち並ぶこの辺りは、何処かの神域であろうか。遠く囁く様な、せせらぎの音が聞こえて来る。参道であろうか一対の苔むした、灯りを落とした灯籠が向き合う、その傍らの草薮が少し動いた様に見えた。寒さがひとしおに成って来たらしく、薮の中から男が一人むくりと起き出して来た。「う〜ん、寒い。」すると何やら遠くの方で、閂の軋む音がした。続いて「ぎぎ〜っ。」と大扉の開く音が闇の中に響いてきた。暫くすると砂利道を踏み締める、多くの足音が聞こえて来た。ザックザックと地の底から響く様な、乾いた音に思わず鳥肌が立った。やがて多くの白衣の男達が、輿を始め多くの長持ちを担いで、やって来るのが、暗い中ではあるが林の木々の間に見え隠れして来た。先程の男はと言うと、薮の木陰から、人々の列をじっと眺めて居た。そして目の前を通り過ぎる行列に、恐れを感じた男は、思わず跪いた。すると「何者じゃ。」
百雷の落ちる様な一喝が飛んで来た。
大分昔、書き止めた一節です。何時かものにしたいと思っています。

襲来の夢

○○年、良く晴れた或日、少年は友人二人と海に向かった。石巻から東に一里程の、渡ノ波海岸であった。武士の子である関口勝と、商人の子、幸一郎そして土木技師の子、馬場健吾だが、妙に気心が合い、何時の頃からか、仲間になった。時代はそれでも大らかで、後の世の様に、武士も町人も、さして言う程厳格な差別は無かった。まして地方の田舎街である。やっと暖かくなってきた四月の麗らかさも、時々栗駒の方から、降りてくる冷気も肌に心地よかった。「ふーっ。気持ち好いや」「少し寒くないかい。」「寒がりだなや。」けらけらと笑い合った。牡鹿へ向かう一本道を、大門崎辺りから、松林に入って行く。薮を縫った小道を行くと、やがて砂丘と言う程では無いが、こんもりした砂浜が目前に広がると同時に「びゆーう」と海風が全身を包んでくれる。「やっぱり寒いや。」中でも一番元気な関口勝は、仙臺の南のやや奥まった船岡の生まれで、此れ迄じっくりと潮風を胸一杯吸った経験が無かった。小走りに浜辺を駆けながら、「海は良いな。」満足そうに、ぽつりと言った。彼は代々武士の家の子で、身内の心易い伯父から、武道の一派を受け継ぎ、少年ながら、中々性根のある面構えであった。「おーい。幸一郎」「何か。」「いや、今の世間は大平じゃ。がしかし。京の都より遥かに遠い外つ国から、時々使いが来るらしい。」「うん、それで。」「何でも、鎌倉様から御家人衆に。つまり殿にもお呼びが掛かったらしい。「何の話か。」健吾も話に加わった。「いや、去る事の○○年○○の国へ、元とか言う国の大軍勢が押し寄せて、国主を滅ぼし、又国主の跡継ぎを人質に捕って行ったそうな。」「其れは、其れは大事じゃ。」「うん、其れでじゃ。我が日の本を見くびりおって。その元の国の支配を受けよとの事じゃ。さもなくば、どうなろう共知らんぞ。と言う事じゃ。」「むむっ、何とも憎たらしい事じゃ。」「天下太平はどうしたんじゃ。」「実際はそんな時代なんじゃ。」「大変な事じゃ。」「そうよ。」未だ世の中の厳しさを知らない若者達であったが、こんな片田舎にも、大きな時代の潮流が押し寄せつつあった。「勝さんはどうするんじゃ。」健吾が云った。「はっ。そりゃ御家人衆の殿が、地の果てまで行くと云やあ、付いて行くまでよ。」「海の果てでもかい。」

襲来の夢 遠つ國にて

此処は朝鮮半島の、のどかな田舎街であろうか。人々は散策を楽しんだり、田畑では多くの農民が作物の収穫に、汗して働いていた。家々では女達が愛する子供らの帰りを、炊事片手間に待っていた。その時、街外れの県境辺りを一騎の騎馬兵が死に物狂いで駆けていた。すると地平の彼方から一筋の暗雲が立ちこめ始めて来た。しかし其れは雲では無く一塵の砂荒らしであった。大きな渦を生じると、巨大な竜巻きとなって荒れ狂った。その竜巻きはやがて沢山の騎馬兵の群れに変貌した。此れがあの元の大騎馬軍団なのであろうか。騎馬軍団の頭目が何か獣の様な叫び声を上げると、彼等は馬を走らせながら、一斉に弓を射始めた。矢はまるで夕立ちの雨の如く、先を駆ける孤独の騎馬兵に、ばらばらっと降り注いだ。男は矢の雨を刀で、右に左に振り払った。只管目前の街を目指す彼だが、到頭一本の矢が左肩に突き刺さった。この矢は実は毒矢だったらしく、次第に彼は躯が痺れて動かなくなって来た。その時、彼方の街の方面から、銅鑼や鐘を打鳴らしながら、孤独な彼の援軍が二十騎程やって来た。しかし、地平を埋め尽くす程の大軍には、抗し切れず次々と倒れて行った。毒矢を射掛けられた兵は、馬の鞍の上に伏し瀕死の侭に街に辿り着いた。街の役人が駆け付け、最後の報告を告げると兵士は息を引き取った。時は既に遅く街は争乱状態に陥り、怒濤の如く沢山の敵兵が侵入し、乱暴狼藉、温和な住人達を蹂躙し、殺戮し尽くした。
昨日までは豊かな国、平和な田園地帯も、瞬く間に阿鼻叫喚の巷となった。しかし、事は此れで終わりはしなかった。隣の郡の或る街では、いち早く悲報を聞き付けた、郡の長は兵を募った。「男共よ、いざ起て。共に立ち上がらん。此の国を守り、此の郡、この村を共に守らん。我に続け、勇気、そして、義と愛を胸に。」彼方此方の村々から鍬を置き鋤きをすて、男達が駆て来る。街角の長の館の前で、義勇軍の旗上げが始まった。多くの老若男女が集い、その手に、手に狩猟用の弓やら剣、そしてこん棒を引っ下げて、老長老の言葉に耳を傾けた。早くも街外れに敵襲を知らせる鐘が鳴りはじめた。山野を越えて田畑に襲い掛かる“うんか”の大軍の様に、怒濤の騎馬軍団が押し寄せて来た。「皆の者、恐れるな。妻子を守れ、我に続け。」「うおーっ。」俄仕立ての軍は動き出した。

笹谷峠その2
奥州の山間にある街道沿いに、ひっそりとした集落があった。笹谷峠と呼ばれる名前の通り、杉の鬱蒼とした林の下に、熊笹が生い茂り、白い街道を稀に行き交う人々の休息の場所として、欠かせない要所なのかも知れない。その曲がりくねった道を何やら話し声が近付いて来た。七尺余りある大丈夫と、此れは又小柄で童子の様な旅連れ、そしてその取り巻きであった。「遮那王様。」「かっはっはっは。」「懐かしい呼び名じゃ。」「私もです。」「昔を思い出されましたか。」興味深げな眼差しで「何じゃ、西塔の荒法師弁慶殿。」「はっはっは。」「人の世に一番貴いものは何でござろう。」「ふん。問答か。」「いえ。」義経は笑いながら、「そうじゃな。何と云っても情であろうか。」「御意」「しかし。情けによって、善が立たぬ事もござりまするようで。」「流石は出家よのう。」「差し出がましゅう…。」「いやいや。」
ぼんのく山
ぼんのく山に天狗が居たそうな。中でも一番の頭の良い天狗はTごんべUであった。しかしTごんべUは天狗なのに、空を飛べない。今日もぼんのく山の原っぱで飛翔の技を、小天狗達と一緒にTえいこらUであった。「おおいっ、そこのTごんべU天狗。飛んでみ〜ろ〜や〜。」TごんべUは六尺程の磐の上でがたがた震えておった。「ちっ、仕様も無い。」或日、大天狗はTごんべUを連れて、ぼんのく山のてっぺんの竹林へ行くと、「さあ、TごんべU登って見よ。」TごんべUは恐くて登れません。大天狗はTごんべUの尻を叩いて「さあ、TごんべU」仕方なくTごんべUは登りました。一尺、二尺、五尺、二?#92;尺。さあ、大変です。竹はゆらゆら、頭はくらくら、胸はどきどき。世界中がぐるぐる回り出しました。すると大天狗は、「さあ、もっと登るんじゃ。」「ひゃぁ〜〜〜〜っ。」到頭TごんべU天狗は恐いながらも、長い長い竹の幹を百尺のてっぺんまで登りつめました。蒼いそら、白い雲。なんて!!素敵な眺めでしょう。しかし、TごんべU天狗は恐くて泣き出しました。すると遥か下界の大天狗が「そうれっつ。飛ぶんじゃ。」その瞬間TごんべUはTつるりUと手を滑らせ、「あっあ〜〜〜。」と夢中になって大空を飛び始めました。(良い子の皆さんは絶対に止めましょう。TごんべUより)
ガッタンゴットンぎーっ
都電の『とれすけくん』が今日もガッタンゴットンゴー「みのわばし」から「わせだ」まで沢山のお客さんを乗せて走ります。ガッタンゴットンゴー「プウッツ」ぎーっ、チンチン、グオー。お爺さんも小母さんも、お母さんも、お父さんも、僕も。そして、お兄さんもお姉さんを乗せて、すいすい走ります。気持ちの良い春風の吹く荒川を、住宅の間をぬって走ります。皆にこにこ、そりゃあ、都電が大好きなんです。線路わきにアパートが有ります。へいの上に三毛猫の『にゃー』がいます。いつも眠そうで、片方の目をパチクリ「ミャー」にゃーくん又ね。もう学習院まえ、さくらの花びらが雪のようにきれい。「あ、サンシャインが見えるぞ。高いビルだね」あっという間に「わせだ」の森へガッタンゴットンぎーっ、、チンチン。『わせだ、わせだ〜〜〜。』
敷島物語.001
蒼い空は、どこまでも澄んでいた。燦々と降り注ぐ太陽の下、海はきららを撒き散らしたように、水平の彼方で輝き、打ち寄せる波は穏やかだった。浜辺の流木に一人の若者が掛けていた。その眼は遠くを眺め、?#92;情は打沈んでいた。遠く海鳥の鳴く声が聞こえる。しばらくすると一人の翁が現れた。「如何なさいました。」「……。」「悩んで居なさるのう。」「……。」「打ち明けなされ。」「人生には様々な事があります。それは悲しい事もございましょう。でも、独り悩んで居ないで、お話なさい。」そのとき若者はふと翁の顔を見上げた。その顔はよく磨いた真鍮のように輝き、眼は希望に輝いていた。愛情溢れる微笑みは、若者の心に安堵の灯を点した。
敷島物語.002
若者は感謝の眼差しで「お声を掛けていただき有難う。私の名は火火出ノ命と?#92;します。」翁はにこりと微笑んだ。「実は私には一人の兄が居ます。兄は海の幸を司る者。私は山の幸を司る者」「…。」「或日、二人は戯れに各々の宝を交換しました。兄の宝は二つとない釣り針。私の宝は大切な剣でした。」「それで如何なさいました。」若者は悲しそうな顔をして「兄の大切な釣り針を無くしてしまいました。」「…。」「海は限り無く広い…。」翁は若者の顔をじっと見ると、「嘆く事は在りません。私が力になりましょう。」翁は立ち上がると天空を見つめ「メナシカツマノオブネよ現れよ!」すると中空に白金に輝く宝船が現れ、しづしづと降りて来ました。「貴方様は…。」「名など良い。」翁は実は塩土の翁と言った。」宝船を心に描くと若者はいつの間にか宝船の船内に居た。
「巷説牛若苦労話」その二?#92;八
白い月が高く小さく天空へ昇った。京の夜を怪しく包み込む夜霞も消え去り、河原に佇む二人の男を見下ろしていた。二人は絶え間なく続くせせらぎの音に暫し無言であった。「遮那王さま(しゃなおう)」「……。」「遮那王さま」「……。」「儂を家来にして下され。」突然の?#92;し出に牛若丸は不思議な出合いを想い、六尺を超える大男をまざまざと見つめた。「家来とな。」「御意にござります。」「其れは儂の決める事では無い。」「…と?#92;しますと。」「主従となれば前世の因果か、宿命の為せる業。従いて参るならば参れ。」「はっ…有難き幸せ。」すると牛若は「はっはっはっはっはっは。」甲高い声で笑った。「はっは。何が幸せか。儂には位階も?#92;も無い。」山の様な成りをした大丈夫は、きっとした眼差しで、「某、御殿の?#92;や位階をあてにしてに在らず…。」「…まあ、良い。参れ。」大男はうっとりする笑顔を見せれば、負うた太刀も振り捨て、いそいそと追て行くのであった。「明日をも知れぬ儂ぞ。」「はっはっはっ。何処へでも。」「行くは地獄ぞ。」「僧侶故、死出の旅路は厭いは致しませぬ。」「はっはっはっはっはっ。可笑しい奴じゃ。」「はっはっはっはっ。」大きな男と、童子の如き武者の不思議な出合いであった。

「巷説牛若苦労話」その二?#92;七

「小童に刀は不要であろう。置いて行け。儂が頂戴する。」「ふん、嫌だと?#92;したら…。」急に法師は?#92;情を変えた。「儂の名を武蔵房弁慶と知っての事か。」「そんな名等儂は知らん。」「小僧、?#92;したな。」「小僧では無い。名乗る筋合いも無い。」云うが早いか、法師は大薙刀をすらりと?#92;えた。「面白い。」若者は動じもせずに、清清しい笑いを見せた。「うおっ。」薙刀の空を大きく舞うのが見えた。素早く躱された法師は、平衡を失い、よろめいた。しかし、ニの振り三の振りで迂闊にも欄干に深く切り込んで法師の動きは止まってしまった。欄干の上に駆け上がった若者は、その隙に法師の顔面と胸板に強烈な蹴りをした。その俊敏な動きに、どうと倒れた法師は、直ぐに立ち上がる事は出来なかった。上に輝くおぼろ月を眺めながら、「うあっはっは…。」流石の荒法師弁慶も恥辱には耐えられなかった。

笹谷峠その4
「弁慶め、未だ云い足りぬよの。」義経はにやり、と笑った。「お判り?#92;されるか。義も余りに執されると、身を滅ぼしまする。」「過ぎれば滅ぶとな。」「御意。敷島の道、清き明き心なれば、義もまた良し、忠も良し。孝も、善も立つ事と存じまする。」ちら、と弁慶を見ると、「弁慶。何処にて仕入れたるか。」弁慶、何食わぬ顔にて、「某、あきんどに非らず、最早武家にて非ず。出家に非ず。」にっと笑い、「殿への忠節を只歩し者にござる。」義経はっとした顔をすると、「…。」僅かに目尻を熱くする様であった。

旗本某の噺

「中山殿。」「おう。佐々木殿か。何用で。」「あ、はい。少々お時間を…。」と云う訳で最上藩の江戸屋敷の旗本佐々木某は、剣の稽古の帰り道、同じ道場の中山某と連れ立って歩きはじめた。「中山殿。突然ではござるが、実は…。」「ふむ。」「恥ずかしながら…。少々ご無心を、お願い致したく…。」「はっはっはっは。」佐々木某はもう、無理かと思った。しかし、「如何程でござろう。」思わぬ展開に佐々木某の声は上ずった。「え…。よ、宜しいのでござるか。」「はっはっは。出来ない相談も有るが、如何程か。」「済まん。五両でござる。…実は。」「待たれい。」「…其れを聞くには及ばん。」「しかし…。」「事情はござろう。ま。人生色々ござろう。が、儂には其れを聞く耳はござらん。」「済まぬ。」中山某は、そっと懐から金入れを出し、「はっはっはっは。丁度じゃ。お主、佐々木殿は運が良い。」思わず佐々木は「あの…半分でも。」すると中山の眼がきっと、佐々木を睨んだ。「何を遠慮する。馬鹿な思案はせぬものじゃ。では。」中山某と云う侍は夕闇の中に消えて行った。「…。」
貧乏旗本侍佐々木の屋敷、と云う程の屋敷では無かったが、宵闇に煙る神楽坂界隈の華やいだ灯りも通り過ぎ、やや早稲田方面に下る渡辺坂の近くにあった。「帰った。」待ちわびて居た女房の津ねが、「お帰りなさいませ。」「うむ。」どうせ叶わぬものと見上げた夫の安堵に満ちた顔を見て、「あの…。」「うむ。同門の中山殿が…。」「其れは良うございました。」子細を尋ねる怖さもあり、津ねは敢て聞こうとはしなかった。軈て一月程経ちいつもの道場の帰路、同門の長谷川某と帰る道すがら、「佐々木殿。」「は。何か…」「同門の中山を知って居ろう」佐々木はどきっとした。最近中山の顔を見て居ないのであった。「可哀想にのう。」「えっ。どうしたんですか。」「矢張り知らなかったか。」「何かあったのですか。」「死んだよ。」「えっ。」長谷川は子細を語った。妻子ある矢張り旗本の中山であったが、釣り好きで、いつもの川釣りに出かけた侭、神田川で溺死したそうな。気安く大金五両を貸してくれた中山の笑顔を思い出し、気の重い佐々木であった。遅かりしが道々尋ねながら、伊達藩の旗本屋敷を探しあて、亡き中山の善意を胸に焼香に参った佐々木であった。
静かな屋敷の北側にある仏間に導かれ、往時の主の面影を探した。
「中山の家内です。」佐々木は一月程前の借金の経緯を語った。話の中程で中山の話を佐々木の妻は押し止めた。「子細は私の存ぜぬ事。中山と佐々木様のお約束事。話は中山があの世とやらへ持ち去った故、私には一切存ぜぬ事。」「……。忝ない。」あの夫あって、此の妻あり。佐々木は中山某への恩義はきっと果たすと心に強く誓うのであった。

無題

江戸の外れの葛飾と云えば当時は武蔵野の荒涼とした荒れ野が限り無く続く土地であったとか。
江戸へ続く街道沿いに疎らに民家や、畠が点在する中、一本の大きな楠の下に、ほっ立て小屋があった。夕べから引っ切り無しに甲高い鎚音がします。
日の出の頃に成ると漸く、音が納まり、勢い良く上がった煙りも殆ど見えなくなった。何処からとも無く長閑な鶏の時の声がします。
「おい。」「どうした若いの。」
突然呼び起こされ、?#92;四、五歳であろうか。一人の若者は飛び起きた。
「夕べから、儂の仕事をジッと見て居る。
近頃珍しい奴も居るもの。
じゃが、仕舞には寝腐り居るわい。
はっはっはっはっはっはっは。」
「おいっ。何が気に入った。」
「儂の事かい。」突然語りかけられ、驚いた目をして若者は答えた。
「儂は一昨日、此処に着いた。」
「陸奥かい。」「あい。」「腹が減ったじゃろ。」鍛冶職人の初老の男は、若い、身も知らぬ若者を招じ入れた。「すまねぇ。」若者は粗末ながら、作業場の片隅の囲炉裏に下がった鍋の雑炊を頂戴した。
「一体こんな江戸くんだりまで、何しに来た。此処は未だ江戸とは言えんが。」
「はっはっはっはっ。」若者は丸い目をくるりとさせ。「夢さ。はっはっはっ。」
「夢か。」初老の鍛冶職人は、上を見上げると、それは懐かしそうに、目を細めた。

美酒に酔ってばかり居てはいけません。

てんつく山の天狗、呑多天狗は大酒のみ。朝から「よし、朝飯前に一杯!」別に仕事も無いので「さあ、京の清水さんでも見物じゃ。」と大瓢?#92;に飯替わりの酒をなみなみ入れると、懐の大団扇でぴゅーと一扇ぎ。するとあっと言う間に其処は都の清水さんじゃ。「何じゃ何じゃ。大きな物が飛んだるわい。」「どこじゃ、どこじゃ。」ぐるーりと都の上をひと回り。「こりゃ、気持ちがええわい。」遥かに高い叡山に降り立つと、腰の大瓢?#92;の栓を抜いて、「ごくり、ごくり。」と四斗の大酒を飲み干しては「ふぃー。」と一息付くや、「ごーごー」と寝息を立てながら、眠ってしまわれた。すると叡山の更に大奥の山に棲んでる。呑多天狗よりも?#92;倍も大きな大大天狗が、烈火の様に怒りながら、やって来た。「此の愚か者め。あんな都の大衆の前で、我が天狗界の正体を晒すとは、愚か者め。そんな愚かものは、こうして人間にして暮れよう。」すると呑多天狗は泣きながら、「其れだけは、人間にだけは、お許しを。」「ええい、お前のような奴は、真人間になってしまえ。」「ひゃ〜〜〜。」どすん。と椅子から落ちると、真っ赤な顔をした誰かさんが「おおぅ。痛え。」

大きな背中
南の海辺の小さな村に、夏がやって来た。ラムネ色の透明な風がびゅう、びゅうと吹くと、風見鶏の羽がくるくると回ります。子供達は水辺ではしゃいでいます。太陽の光が波打ち際でキラキラ輝いています。出し抜けに「ブオーーッ」と汽笛が鳴りました。突然の事に大人も子供達も、顔を見合わせて「やっ。帰って来た。」
白い夏服の人々が、港の桟橋目指して走り出します。「おーーいっ。帰って来たぞ。」見えました。海の向こうから、鼠色の巨きな船が、黒い煙りを吐き乍ら。広いデッキの船端には真っ白い襟に紺色の水兵さんが、きりっとした顔で、敬礼、敬礼、そして敬礼。
「やあ。又会えたね。」元気なあいつが、大きな手を差し出しながら、大きく深呼吸。「ん。旨いな。陸の空気は。良いや…。」「でも、すぐ又海が恋しくなるんでしょ。」「はっはっはっは。」「海は良いよ。」「広くて、優しくて。おふくろの様なもんさ。」「おくくろの様に又、怖いもんさ。」「はっはっはっは。」「一杯行こうよ。」「ようーし。」大きな背中が帰って来た。
夜半の夢
陸奥の國伊達領内は日中の猛暑の後、夕刻より凄まじい豪雨に見舞われた。登城の坂道、要所要所の篝火も消され、一面闇に包まれていた。宿直の者二人が城門の脇の番小屋で、行灯の火を絶やさぬ様、見守って居た。「よぉく降るなぁ。」「うむ。」「こりゃ、朝迄続くかな。」「うむ。」相方をちらりと見つめると、「ちぇっ。」愛想の悪さにそっぽを向いて居た。城内の廊下は暗く、時々稲妻を受けて青白く闇に浮かんだ。長い廊下の奥まった所に藩主の居間があった。藩主と云っても矢張り節倹家らしく、西の大阪城の主人とは全く違い華美を慎み、質実剛健を地で行ってる嫌いがあった。人に寝姿を晒すを厭うた主人は、先程迄居た家老達の前でも常に居住いを正した。夜半には流石に高鼾であった。朝方政宗はふと、轡や鎧の擦れる音。馬の嘶きに目が覚めた。(はて、此所は何処であろう。)「殿、お目通りでござる。」「何。目通りとな。」一体何が起こったか、政宗は見当が付かなかった。軈て案内の家臣に伴われ、荒れ野に用意された天幕の中に招じ入れられた。その刹那政宗の目に飛び込んだものは、白い幕に染められた《織田瓜》であった。一瞬立ち止まった政宗の心は動揺して居た。「伊達藩主政宗殿。」小者に促され、思わず中に通された政宗の目に映ったものは、床几に掛けた青年武将であった。「初めてお目にかかる。」「もしや。」「はっはっはっはっはっは。」相手はとても可笑しそうに笑った。「そうじゃ。」
「宰相様で。」「信長じゃ。」「どうして此処に。そして此所は一体。」「はっはっはっは。そうよのう。」「無理も無い。此所は、長篠じゃ。」「天下の政宗殿が《一足世に生まれ出るのが遅かった》と嘆かれたと聞いて、会うて見とうなってのう。黄泉の國へと招き寄せたのじゃ。」「……。」「何、恐れる事は無い。此れは儂の余興じゃ。」「どうじゃ。娑婆世界は。」「はっはっはっはっはっは。もう直ぐ娑婆世界は応仁の乱以来の乱世も、宰相様や、太閤さま、葵殿の世話で終わろうとしてござる。」「うむ。上々。」満足そうな信長公は「じゃが、泰平も一時。また乱世も繰り返す。」「…。」「其の泰平の末永からん事を願う。」「御意。」「政宗殿。娑婆世界を宜しくのう。」「はっ。」篠突く雨音に青葉城の主人は目を覚まされた。
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