大日本史復刻版

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原文は旧字にて文字変換し難き場合は新漢字、当字にてご了承下さい。

神武天皇、諱は彦火火出見。
小名は狭野。
天祖大日霊尊、高天原を治めき。
是を天照大神となす。
天照大神の子
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、
高皇産靈尊の女
栲幡千千姫を娶りて、
天津彦彦火瓊瓊杵尊を生む。
天祖、既に群神に命じ、
下土を平定せしむ。
迺ち天孫をして、
降りて葦原中國に居らしめて
之が主となし、
賜ふに八坂瓊曲玉及び
八咫鏡。
草薙劒の三種の寳物を以てし、
因て之に謂て曰く、
豊葦原瑞穂國は、
是吾が子孫の王たるべき
地なり。
爾宜しく就きて治むべし。
寳祚の隆なること當に
天壤とともに
窮りなかるべしと。
是に於いて、瓊瓊杵尊、
天磐座を離れ、
日向の高千穂峯に降り、
遂に吾田に到り、
大山祗の女
木華開耶姫を娶りて、
彦火火出見尊を生む。

彦火火出見尊は、
海神豊玉彦の女豊玉姫を
娶りて、彦波瀲武鵜茅(鵜茅:旧字にて当字)
葺不合尊を生む。
瓊瓊杵尊より下、
葺不合尊に至るまでは、
世世相襲ぎ、
天津日高の號あり、
後世之を尊びて、
亦皆天祖と稱す。
天祖の胤、無窮に傳る。
故に騰極は、
之を日嗣と謂ふ。
上世の事は、年代悠遠、
神異にして測られざれば、
總て之を稱して
神代と曰ふと云ふ。

じんむてんわう
いみなはひこほゝでみ
をさななはさぬ
あまつみおやおほひるめのみことたかまがはらををさめき
これをあまてらすおほみかみとなす
あまてらすおほみかみのこ
まさかあかつかちはやびあめのおしほみゝのみこと
たかみむすびのみことのむすめ
たくはたちゞひめをめとりて
あまつひこひこほのにゝぎのみことをうむ
あまつみおやすでにぐんしんにめいじ
かどをへいていせしむ
すなわちすめみまをして
くだりてあしはらのなかつくににをらしめて
これがきみとなし
たまふにやさかにのまがたまおよび
やたのかゞみ
くさなぎのつるぎのさんしゅのほうもつをもってし
よってこれにいっていはく
とよあしはらのみずほのくには
これわがしそんのきみたるべき
ちなり
なんじよろしくつきてをさむべし
ほうそのさかんなることまさに
てんじゃうとともに
きはまりなかるべし
ここにおいてににぎのみこと
あめのいはくらをはなれ
ひむかのたかちほのみねにくだり
ついにあたにいたり
おほやまつみのむすめ
このはなのさくやひめをめとりて
ひこほほでみのみことをうむ

ひこほゝでみのみことは
わたつみのかみとよたまひこのむすめとよたまひめを
めとりてひこなぎさたけうがや
ふきあへずのみことをうむ
にゝぎのみことよりしも
ふきあへずのみことにいたるまでは
よよあいつぎ
あまつひだかのなあり
こうせいこれをたふとびて
またみなあまつみおやとしょうす
あまつみおやのすえむきゅうにつたはる
ゆえにとうきょくは
これをひつぎといふ
じゃうせいのことはねんだいいうえん
しんいにしてはからざれば
すべてこれをしょうして
かみよといふといふ

◇諱[いみな(忌み名の意)]死後に云う生前の実名。
小名[をさなな(幼名の意)]幼い時の名前。

◇高天原[たかあまはら/たかまがはら(天津神が居らし
たと云う天上の國の意)]
「根の國」や「葦原の中津國」に対して云う。

◇娶る[めとる]妻として迎える。

◇天祖[あまつみおや(天皇の祖先の意)]天照大神から
彦波瀲武草不合尊
(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)までの称。

◇下土[かど]大地、下界、片田舎、痩せた土地の意味。

◇平定[へいてい(乱を平らげ定めるの意)]世の中を平
穏に治める事。鎮定。

◇天孫[すめみま(天照大神の孫の意)]瓊瓊杵尊。

◇降りて[くだりて]天上界から下界へ移動する事。

◇葦原中國[あしはらのなかつくに(日本國の古称の意)
]天上の高天原と、
地下の黄泉の國の中間にある地上世界の事。

◇主[きみ]ここでは天皇さまの事。◇諱[いみな(忌み
名の意)]死後に云う生前の実名。
小名[をさなな(幼名の意)]幼い時の名前。

◇高天原[たかあまはら/たかまがはら(天津神が居らし
たと云う天上の國の意)]
「根の國」や「葦原の中津國」に対して云う。

◇娶る[めとる]妻として迎える。

◇天祖[あまつみおや(天皇の祖先の意)]天照大神から
彦波瀲武草不合尊
(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)までの称。

◇下土[かど]大地、下界、片田舎、痩せた土地の意味。

◇平定[へいてい(乱を平らげ定めるの意)]世の中を平
穏に治める事。鎮定。

◇天孫[すめみま(天照大神の孫の意)]瓊瓊杵尊。

◇降りて[くだりて]天上界から下界へ移動する事。

◇葦原中國[あしはらのなかつくに(日本國の古称の意)
]天上の高天原と、
地下の黄泉の國の中間にある地上世界の事。

◇主[きみ]ここでは天皇さまの事。

旧掲示板を何とはなしに閲覧しましたら、備中さまの懐かしい御文章が出て参り、併せて貴重なご助言もあり、思わず、掲載させて頂きました。
2005-04-2815:16:10No.152727
小生二十歳代の頃、古書店の前で或書籍を見つけ立ち去り難い思いに駆られた事が有りました。其れが《大日本史》でした。此れは勿体無いと思い、なけなしの小遣いで購入致しました。未だ其れ程書籍の価値を認識していた訳では有りませんでした。しかし、四十歳代になり、此の書は日本の歴史の原点で教科書で名前は出ますが、実際どんな事が書いて有るか、知って居る人は実に稀で或。もっと世間に広まって欲しいと思い、無謀ながら五、六社の出版社に当って見ました。矢張り、売れない本は出せない。また、内容が大著だけに無謀だと云う意見でありました。其処で小生はデータ化を自分でして見ようと思い立ちました。僭越ながら、上述の通りシリーズ7まで漕ぎつけましたので、当コーナーに掲示する事にしました。ご興味の方はご自由にダウンロードしてご覧下さい。

備中處士2005-06-0100:37:53No.167362
大日本の三大特筆とは、
一、大友皇子を帝紀に立つ。
一に日本紀の成文「近江朝廷」に徴し、立てゝ本紀としたものであつて、私意を以て之を斷じたものでは無い。
一、神功皇后を后妃傳に收む。
古事記が仲哀天皇より直ちに應神天皇に移つて、其の間に神功皇后を數へてをらず、日本紀に至つては、皇后「攝政元年」と明記してゐるからであり、一に客觀的考證の結果である。
一、南朝を以て正統と爲す。
神器の所在を主とし、しかも神器は必ず名分の正しき所に在りと云ふ信念(義公)を前提とするものであつて、神器を物質的に視るのでは無い(栗山潛鋒)ためである。義公曰く、これ計(ばか)りは某(それがし)に許してよ。當時・後世、われを罪する事をしるといへども、大義のかかるところ、いかんともしがたし(「年山記聞」)。
を云ふ。
●義公曰く、「我が主君は天子也。今ま將軍は我が宗室(宗室とは親類頭の事)なり。あしく料簡取ちがへ申まじ」と(桃源遺事)。
●徳川慶喜公曰く、「義公以來の教、子供の時より懇々説き聞かされて居りますので、維新の際にも、たゞ其の教に從つただけの事で、自分の知惠才覺は用ゐなかつたのであります」と(伊藤博文公對談の逸話)。
●哲學の西田幾多郎博士の曰く「明治以來、我が國の歴史學は、西洋史學の影響を受けて、長足の進歩を遂げたとは、しばしば耳にする所であるが、自分の見る所を以てすれば、明治・大正の間、歴史の名に價するほどの著述は、一つも無い。むしろ我々の考へてゐる歴史と云ふものから見て、眞に歴史と云つてよいものは、水戸の大日本史があるだけである」と(昭和三年秋發言)。
備中處士2005-06-0100:39:15No.167363
チャンネル櫻より、経緯の説明の為、転載させて戴きました。

小生備中處士様他、皆様が、この『大日本史』(pdf)のデータを簡単に閲覧、活用出来る様にとの達てのご熱望にお応え致したく今回掲載致しました。但し、原本が旧漢字で、パソコンでも変換出来ない漢字も多々有りますので、其の辺りは御容赦願います。

別途の『大日本史』復刻等他、多々あり、今後も当コーナーの制作は相当時間を要する所存ですので其の辺りは御容赦願います。

中仙道